池田信夫氏は名前は知っていたがblogを読んでいるわけでもなく、あまり考え方などに触れる機会がなかったが、タイトルに惹かれて購入。
…うーん。
まず「希望を捨てる勇気」という言葉は本編に出てきませんw
「おわりに」の一番最後の行に出てきます。
まあ池田先生の大作(ちょっと悪意がある言い回しかな?)なので深い問題を理路整然と解説してくれます。
で、率直に言ってしまうと「劣化版大前研一」
彼は意識しているかわからないが、大前さんになりたいのではないだろうか。
しかし彼はコンサルティング会社に勤めたことがあるわけでもなく、
会社の経営や総理のアドバイザーをしたこともない。
大前さんとの一番の違いは思想を語って終わりなところ。
○○という議題があったとすると、
池田氏は大体以下のような流れで話す。
1.○○はこのような流れで問題となった。
2.現在は○○はこういう点が問題である。
3.その対応として××がなされているが、2の原因によりこれは意味がない。
大前氏はこれに以下の文脈が続く。
4.ゆえに私はこのような手を考える。
5.これによって出てくる問題もあるが、このような利点があるためトータルではプラスになるだろう。
要は池田氏は「世の中はみんな馬鹿だ。俺だけが本質を知っている」という論調なのだ。
大前氏のように一度でも経営に携わった経験があれば、単なる批評家の無意味さに気づくはずだが、いかんせん彼は東大を出てからNHKに就職し、その後は教授職を転々としているだけなので、ご高説には自信があるだろうが自分の案を形にした経験に圧倒的に欠けているのだ。
このような人を良く見かける場所がある。
皮肉にも池田先生が著作で批判している「はてなダイアリー(以下はてな。はてなには色々サービスがあるのでこの略し方も問題だけど)」だ。
2ちゃんねるとはてなは似たような感じに見えるが、僕はちょっと違うと思う。
(ちなみに僕は2chユーザなのではてなは嫌いです。)
2ちゃんねるはスレッドという一つの事象についてコメントが集まるが、
はてなは一人のコメント(ダイアリー)同士がつながっている。
つまり2ちゃんねるは馬鹿ばかりだけど、一応一つのネタに沿って話すというルールがあり、ネタそのものに思想は含まれない。
だが、はてなは個人の思想「○○ってあれだよね(と俺は思う)」からスタートするのだ。
厳密にそうとは限らないのだけど、大体こんなイメージ。
なので、はてなは池田氏のように自分の思想を垂れ流す場となっているのだ。2ちゃんねるでいうチラ裏の集まりってことかな。そのため僕はどうも違和感を感じてしまう。
チラ裏の意見は他者の意見に不寛容となりがちだ。(ダイアリーだから別にそれでいいんだけど)
そのため、その意見にフィードバックをする気にもなくなるし、批判によって精錬されないためにその意見の価値も高まらない。2ちゃんねるにチラ裏の意見を書いたところで「ここはお前の日記帳じゃないんだ」と言われて終わりだ。というか言われるだけマシだ。大抵は存在すら認められないただの幽霊扱いとなってしまう。
池田氏の文からもそういったはてな的な臭いを感じる。希望を捨てる勇気というタイトルも、「お前らこんな日本をまだ信じてるのかよ。今はこんなにダメなんだぜ。希望なんて無駄無駄」というような考えが入っているのではないか。大前氏の本のタイトルは「最強国家ニッポンの設計図」「サラリーマン再起動マニュアル」のように、どうにか逆境を乗り切ろうという意思がある。
まあ最近の大前氏はちょっと民主寄りで鼻につくけど、やっぱり頭の良さを感じるためについつい記事は読んでしまう。彼の発言には他者を動かす実体があるということだ。
ネットは匿名だし、簡単に自分の意見を発表できるのでついつい思想を垂れ流す幽霊となりがちだ。これは僕にも言える。それがきちんと形や熱を持つには自分の意見を固めて批判を受け入れる度量を持つことが必要になるのだ。そして何より、自分を投影することが重要である。幽霊が実社会について語るとき、自分はその社会の構成員ではなく、一段上からものを言う。一つの側面を表しているかもしれないが、それには何の発展性もない。自分が責任を負わないからだ。実際に「じゃあやってみろよ」と言ったところで幽霊には何も動かすことはできないのだ。「自分だったらどうするか」と自分を問題に投影させて初めて見えてくる問題もあるんじゃないだろうか。
書評(☆5つが最高)
希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学
読みやすさ☆☆
気づき☆☆
まー悪口を書いてしまいましたが、池田先生のblogにはリンクを貼りません。怒られると怖そうなのでw

